ねこぐるまのブログ

一児の母です。最近派遣で働きはじめました。

あたまの中に浮かんでは消えてゆく由無し事を
消える前に書きとめる

無敵かーちゃんタイムの終わり

産後のお母さんは赤ちゃんのお世話ができるよう少々寝なくても平気なようにできてるって話、うそだろと思ってたらほんとで、生き物が種を繋ごうとする力はほんとすごいなー、寝不足でもまぁまぁ元気に頑張れるし何なら小学校から悩まされてきた偏頭痛も治ったし足のむくみも軽くなった、体質まで変わっちゃったかなサイコー!と思ってたけど、最近は体がもったり重たいし頭痛もすごいし足もむくむくだし完全に産前のいけすかない体に戻ってしまいました。

派遣始めてから睡眠3〜4時間でやれてきてたけどいよいよ無理がきかなくなって仕事と家事の両立がしんどくなってきた。人体の神秘に助けられてぼちぼち暮らしてたけどとうとう本気で省力化とか時短とか考えないといけない、つら。。

息子が突発性発疹になりました

息子が先週の水曜から突然発熱し39℃台をうろうろ、一時は40.4℃まで上がりぐったりするよりイライラが募って凶暴になった息子に母はおろおろ、圧倒的食いしん坊が牛乳以外拒否するようになりハラハラ、牛乳入りのコップを投げつけられそうになり母の心はズタズタ、土曜の夜になり熱がスーっと下がって父も母もやれやれ、どっこい翌朝起きたら顔からお腹まで湿疹だらけになってて胸がザワザワ、当番医に診てもらって突発性発疹の診断を受けついに来たかとまたザワザワ、明日から保育園行っていいよと言われマジ?!でもそれは医学的見地からであって親としてはどうすべき?とまたまたザワザワ、その後も不機嫌マックスな息子を相手に母はもうフラフラ。。

 

結局昨日月曜は実母にヘルプを頼んで保育園をお休みして、今朝ほぼ1週間ぶりに登園しました。昨日もだったけどバイバイするとき泣く泣く泣く。。そりゃそうよね。母も心で泣きながら今これを書いて気持ちを落ち着けています。病気のときだけは後ろ髪をひかれてしまう。家に帰ったら思いっきり甘えさせてあげよう。とか思ってはみるものの、たぶんまた牛乳のコップを投げつけられてクヨクヨしてる自分の姿が目に浮かぶ

30代目前だった自分を思い返してみると

職場に、昼休みの話題の90%が家族と会社の同期のことって感じの30歳前の女の子がいる。おしゃべりの内容は女が集えばこうだよねという他愛のないものなのだけど、どんなときも彼女は「うちの母が〜」「うちの同期が〜」とすっごい楽しそうに話す。えらい閉じた世界に生きてる気がして毎日どんなふうに過ごしてるのかちょっと気になってしまった。

 

私が彼女くらいの年頃だった7〜8年前を思い返してみると、住む世界に変化を加えなくてはとものすごい危機感を覚えてて、習い事をしたり飲み会にガンガン参加して飲み仲間つくったりとか、とにかくいろんな人と交わるべく奔走していた。その奔走の中で旦那と出会ったし、そのとき触れた新しい世界は私の今をちょっとだけ豊かにしてくれてるのでまぁよかったのだけど、心は焦燥感に満ち満ちてて穏やかではなかった。30代を前に人生に行き詰まりを感じた末の一念発起だったわけだけど、彼女は(私から見たら)閉じた世界の中でもこういう追い立てられ感なく暮らしてるのだとしたら、ちょっとうらやましいような気もする。

 

足掻いて足掻いて切り拓く未来もよし、泰然自若として拓けてくる未来もよし。もしかしたら彼女も葛藤だらけの日々を過ごしてるのかも知れないけど、大きな変化を望むことなく心穏やかにいられるってある種の才能よなぁと思いながら、朝の準備に追われてキリキリ作ったお弁当を平らげたのでした。

 

職場でのイメージ戦略に失敗しました

私は高校野球の準決勝に県の代表校が進出して活気付いている某県住みなのですが、試合が行われた昨日は職場でも我慢できずワンセグで試合を見る人や速報を吹聴してまわる人が現れ、試合も終盤にさしかかったときついに上長がテレビのスイッチをオン、職場の半分近くの人が固唾を飲んで見守るというとても不思議な体験をしました。

 

私は高校野球大好き人間なのでこの状況を大いに楽しんだのですが、となりで観戦してたマネージャーと野球好きなの?みたいな話になり、まぁ好きなほうですもちろんプロ野球も好きですって盛り上がった末、ねこぐるまさんって野球やってそうだね、絶対やってるでしょ!あっソフトボールとかやってそう!ピッチャーやってものすごい豪速球投げてそうって予想外の絡まれ方をし、まじっすかそんなん常に暴投ですわーって返すくらいの機転しかきかない自分が不甲斐なく、そして私もしかしてマネージャーの中では上野由岐子選手とオーバーラップしてんのか?おしとやかキャラで通したくておとなしくしてきたつもりなのに元気モリモリ系に着地していたとはどこで作戦を誤ったのか。もともとガタイよいし息子1歳半の外行こう!攻撃に美容的に丸腰で応じてきた故の小麦肌が災いしたのか。ショック。子供が生まれる前はとにかく肌を焼かないように生きてきたし、ほんとに色の白いは七難隠してたんだな昔の人はよく言ったもんだ、歳を重ねて七難どころじゃなくなってんのにこれから私はどうしたらいいの、男児と美白の両立は修羅の道では。

 

そして明日から元気モリモリキャラとしてのイジリを受け止めていかなくてはならぬ重圧…。重い。つらい。おしとやか扱いしてほしいのにいつもこう。線が細い女の子になりたい人生だった。

 

職場の若手社員に焼きを入れたくなってしまう

盆休みに入りました。世の中のお休みに合わせて休ませてくれる職場でほんとありがたいです。それと同時に子供が夏風邪ひいて休みの予定が早速崩れてますが人生ってそんなものかなって思います。

 

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今職場ではこれまで2Dでやってきた仕事を時代に合わせて3Dに変えていこうという取り組みがなされてて、各事業所の若手社員が推進担当に任命されて早い話仕事を丸投げされてる。私のいる事業所では推進担当と派遣とでいくつかスタディモデルをつくってみるというのが第1目標らしい。

 

ところで肝心の若手がとにかくのらりくらりしており、どうしてもヤキモキしてしまう自分を抑えるのが毎日すごい煩わしい。目的も結論もないミーティングが開かれる度、君らやる気あんのかい?さてはこういう立場での仕事の仕方を知らないな?あっひょっとして上がそういうこと一切指導してないな?それはそれでかわいそうな話じゃな…わしが教えちゃろか?今はしがない派遣だけど正社員経験あるし君らよりは場数踏んでる気がするんよね。あーでも私派遣だった正社員に対してそんなでかい顔できるかいな…って揺れ動く乙女心みたいになるのやめたい。

 

こないだとか若手が不在のときに事業所長と部長が派遣の島にやってきて進捗確認してきたうえに特に指示出しもなく大量のマニュアルを置いて去って行くという、私が推進担当だったらゾンビ顔になりそうな出来事があったのだけど、翌日それを聞いた若手たちは…うっぜぇ。みたいな感じで君ら完全にやる気ないな?!もしくは動じない自分を装いたい自意識の塊だな?!プライベートはともかく仕事でそれはダメでしょ何なら私がやるぞ?!あーでも私派遣だった…ってなって無事クールダウンできた自分を心の中でほめました。

感動の貯金はできてなかった

出産してできなくなったこと、夜の繁華街に繰り出すこと、クラシックのコンサートやアコースティックライブに行くこと。子育てが落ち着くまでは仕方ないよねと覚悟して出産に臨み、実際行けなくなってみてもさして渇望感もなく、完全に子育てモードに切り替わったんだ私ったら殊勝な母親だわと思ってたけど、仕事はじめたら職場の人とどんな音楽聴くかとか趣味は何だとか、昨日ミスチルのライブに行ったんだとかの話をしたり聞いたりするようになって、堰を切ったように、行きたい!ウワァァァ〜!ってなってしまった。

 

思い返せば出産以降音楽聴くこともしてなくて、久しぶりに大好きなクラシックギターとかピアソラを聴いてみたらやばい、この感動は何、心を揺さぶられすぎてやばい、心がフワフワして生活に影響が出るレベルでやばい。出産前に駆け込みでコンサート行きまくったのだけど、感動の貯金はできなかったっぽい。体験の欲としてのコンサート行きたい!と精神活動としてのコンサート行きたい!は別物なのだと知ることとなりました。これは困ったぞ!

兄と一緒に実家サバイバルできなくなった話

兄アラフォー独身が両親と決裂して3年、母とは先日表面上和解したっぽいけど父とは没交渉のままです。両親はクセが強く、まず二人とも大酒飲みでケンカが絶えない。そして人の話を聞かない、具体的には父は自分の欲求が抑えられず人の気持ちとか都合とかぶっつぶして平然としてるタイプ、母は人の話を秒速で自分の話にすりかえて身内から芸能人まで口汚く罵り相手の生気を失わせて自分はスッキリするタイプ、どっちのタイプも珍しくはないけど親がそんなだとなかなか、なかなかです。いわゆる毒親なんだと思います。家は自営業で経済的にも浮き沈みが激しくやばいときはほんとやばかった、でも稼ぎの大部分を子どもの教育に割いてくれて、私たち兄妹は私学の中高に通わせてもらい私は奨学金を使いながらも大学まで行ったし、兄に至っては大学院の博士課程まで行きました。子どもにはよい教育をという考えは徹底してて、私が親を邪険にしきれないのはそこの恩があるからってのが大きいです。一方兄はめちゃお金かけて勉強させてもらってるけど、それとこれとは話が別という考えです。

 

子どもを産んで私は変わってしまった。孫を見て目尻を下げる両親を見ていると、この人たちも歳をとったな、こんな老いつつある人にムチを打つことなどできぬと思いはじめ、これからは両親を赦しながら暮らそうなどと本気で思っている。なんかキモい。兄はというと、たまに実家に帰ってくるとつい普通の親子みたいに他愛ないおしゃべりをしようとしてしまい、親は前述の通りの人間だから楽しい会話になんてなるわけもなく、あんな身勝手な人間耐えられんと言い激怒する、その限界を迎えたのが3年前の夏でした。たぶんさみしさとか悲しみが怒りになってる気がします。どこまで行っても私たち兄妹は親を求めてしまうんだって悲しい。兄は私とは違って親と衝突しないようにうまく生きてきたのに、遅すぎた反抗期って都市伝説じゃなかったんだ。ややウンザリ。

 

親は自分たちがしてきたことを都合よく忘れてるから、兄はどうかしてしまったって言う。兄はお前は変わった、昔みたいにこの怒りを共有しようぜって言う。でも、やはり子どもを持って私は変わってしまった。兄のいるステージは独身時代に終えてしまった。暗澹とした家庭を励まし合いながら生き抜いてきたサバイバル仲間だったのに、もう兄と同じテンションでもがくことができないのは少し悲しい。このお盆はお兄ちゃん帰ってくるんだろか。こないだろうなぁ。