ねこぐるまのブログ

一児の母です。最近派遣で働きはじめました。

あたまの中に浮かんでは消えてゆく由無し事を
消える前に書きとめる

職場がゆるくて感謝してる話

今の職場は仕事がゆったりで、ヒラからお偉いさんまでキリキリしてる人なんてほぼ見たことがなくて、今までの職場はいつもキレ気味だったり喧嘩腰だったりこの人の血は青いのかな?と思ったり、そんな人がいっぱいいたけど、あぁ忙しさは人を変えてしまうんだ、渦中にいると全くわからないけど日本の大方の会社は辛すぎではと心底思います。私自身も人に優しくできるし優しくしてもらってるし、こんなラッキーがあっていいのだろうか、天に向かってありがとうございます!

ところで新卒でこの会社に入った若者については、こんなゆるい仕事の仕方がスタンダードになってしまってある意味お気の毒ですが、ものすごい特権を手にしているわけなので、このままうまい汁を吸っていつもニコニコなサラリーマン生活を定年まで謳歌してほしいと思います。仕事に殺されかけて逃げるようにかつての職場を去ったからこそ知り得た新しい世界がここにはあります。

3年前の文章を読んだ感想など

3年以上前にいきなり書きなぐって即放置してたブログを、羞恥と戦う決心が固まったので恐る恐る読み返したわけですが、よくもまぁこんなに固くてみっちり重たい文章を書けたもんだ、あと何でか知らないけどやけに斜に構えてるし意地悪すぎないか?というのが感想です。人生に行き詰まってたのかな。

 

あれから子を一人産み5月からは派遣で働きに出ているので、一人になれる通勤時間にまた思ったことを書きとめて行こうかと思った次第です。家でも子の育児日記、自分の5年日記を手書きでつけてて何という記録魔。子供が生まれてから特に、気づいたら日々が過ぎ去ってる感じだから、なんかやばいと思ってるのかもしれない。

TOEICの勉強で思ったこと

たまに実家の仕事を手伝うだけの主婦だから、この時間を使って4月度のTOEICテストを受けることにした。TOEIC受けるのは8年ぶり3度目です。

インターバルというのはほんとに恐ろしい。久しぶりに本気で英語を聞いて英語で考えているのだけど、学生のころの勘がまったく戻ってこない。かなり焦りを感じる。

ただ、久しぶりの脳みそへの刺激が心地よくもあり、分厚いテキストを毎日チマチマとすすめている。身についているかどうかは別として、わりと楽しい。


勉強してると、旦那が横ヤリを入れてくる。遠回しに「ガリ勉乙」ってヤジられる感じ。

あ〜。あ〜〜。ってとても残念になる。

私は小学生のころから塾に行き、私立中学を受験をした。大学受験時も塾に通った、受験勉強の申し子みたいな人間である(今やまったくめずらしくないけれど)。

かたや旦那は、中高は公立、大学受験も塾に通わず、一浪しているがそのときも予備校に通わなかった人間だ。浪人時代に自学で過ごしたというのは、ちょっとスゴイなと思う。

そんな環境で育っているから、旦那はいわゆる受験勉強に懐疑的、批判的だ。私が「2ヶ月で攻略!」みたいなテキストを買い込んでいそいそ勉強しているのをヤジりたくなるのも、そのせいだと思われる。


受験勉強に対する考え方は十人十色だと思うので、旦那がどう思っていようがとがめる気はないのだけど、ただ、受験勉強型の学習方法を見くびるなかれ、と思う。

いわゆる受験勉強型の学習は、最短距離で得点できることから、学問の本質を見誤る可能性という弱点をはらんでいる。うちの旦那が色眼鏡で見ているのはこの点だ。

でも、体系的な勉強法とはどんなものなのかを、形骸的かもしれないけど、学んでいる。受験勉強型の学習で身につくものはこの一点に尽きると思う。これはすごく大事だ。

社会に出たら勉強の連続になるわけで、そこでいかに効率よく成果を出すかが試される。会社はプロセス重視とか言ってくるけど、結局はアウトプットありきだ。ここで受験勉強で身につけた体系的な勉強法が役に立つのです。私は、立ちました。


うちの旦那の勉強の仕方を見てると、悪いけど効率が悪い。マイルールにしたがってがんばってはいるけど、悪いけどムダがあるし間延びしている。

これが彼が積み重ねてきたやり方、世の渡り方なのだろう。でもね、こちら側に来たら楽になれるよ〜ヒョヒョヒョ、と思ってる。

あとね、効率的なうえに、あまった時間で思考を深める余裕ができるんだから、いいことずくめですよ。

大事なのはそこなんだよ!

もし子どもがうまれたとしたら、私は受験勉強的なやり方も経験させてたいと思っております。どうか、頭ごなしに反対しないでくださいませね。


以上、うちの旦那に言いたいこと、でした。

不倫の相談は困ります

この年になると、友だちの恋愛や結婚をめぐる状況は、ほんとに人それぞれになってくる。

まだピチピチの20代中盤だったころ、35歳くらいのアネゴ肌の先輩が「みんな同じような悩みで一緒にキャーキャー言えるの、今のうちだけだよー」とか言ってたような。先輩、お告げのとおりになりました。


私は、何歳になってもみんなの色恋沙汰の話を聞くのが楽しみな下世話な人間です。でも不倫の相談とかちょっと困っちゃう。

この年になると不倫の話も離婚の話も聞くし、自分も他人事じゃないし、ほんと困っちゃう。

不倫してる子は罪悪感さほど持ってないし、まわりがどう見るかもさほど気にしてない。「大丈夫。職場では女の正社員私だけだし私いちばん年上だし、誰も私に文句いえない、大丈夫。」といった感覚。

話聞いてるほうの私は、あなたがそんなイージーな感じなの、困っちゃう。

不倫に対する風当たりは強いよ!男も女もドン引きする人少なくないと思うよ。家庭では妻であるところのパートさんなんて、嫌悪感すごいと思うよ。パートさんにとっちゃあ、仕事では正社員でブイブイ言わせ、恋愛では他人の夫を略奪してブイブイ言わせてる女なんて、仕事でも家庭生活でも、敵でしかないよ。そう簡単にはパートさん黙らせられないかもよ?

あと下手したら相手の奥さんが会社に電凸するかもよ。そしたらあなたも相手の方も会社にいられなくなるかもよ?

てかゼクシィとか読んでるみたいだけど、社内不倫の結婚式に会社の人呼ぶの、呼びにくくない?

てか相手の方は今の奥さんと離婚してくれるの?ほんとなの?


心の中で壮大に心配と非難を繰り返すんだけど、でももうお互い大人。1日いろいろ話聞いても、言えることは

なんか…いろいろうまくいけばいいねぇ〜(遠い目)

くらいのもんです。

もしかしたらこの不倫を成就させることで、ほんとに彼女が幸せになれるのかもしれないし。

なんも言えねぇ。妙齢の女性には下手なこと、なんも言えねぇ。

ファミリー企業で労働組合やってましたが

今年の春闘をベア決まりまくりですんごおぉぉぉぉ政府による圧力の効果すんごおぉぉぉぉという感じで見ている。


前の会社で、5年ちょいばかり、労働組合の役員(兼任)をしていた。その立場からも、今年の春闘結果がせつなく身に刺さる。

私が役員してる間、満額回答は一度もなかったし、一時金はガンガン減っていった。経済状況も会社も労働組合も力不足だったという感じだろうか。


春闘では主要企業とか同業他社の動向を見て妥結内容を詰めていくわけだけど、、

企業はお上からの圧力ひとつでここまでコロリと態度を変えるのね。これじゃ私たち労働組合の立場が、、ヨヨヨ

ファミリー企業は、経営者の独断とか見栄に妥結結果が左右される。原資がないとか会社側は言うけど、それはちがう(※私のいた会社の場合。自己資本比率も高いしお金はあった)。経営者が他のことにお金を使おうとしてるだけじゃん。危ないだまされそうになったわー。

と行きつ戻りつしながら交渉するのだけど、ファミリー企業の御用組合が出せる結果は限られたものでした。


賃金が減る一方だったから、いつか増えたら胸がすく思いだろうなー!と思ってたけど、今年みたいな流れだと、試合に勝って勝負に負けた感じがすごそう。

いや、賃金増えるのはうれしいことなんだけれど。


世の中はこういうふうに回ってるんだってことを、勝負に負けても試合に勝てばオーライなことも多いんだってことを、改めて思い知らされたのでした。

靴下をたたみたくない

家事をしてると、使っては仕舞う、の繰り返しでいやになる。

一人暮らしのころから、洗濯物は干しっぱなし、食器は洗いっぱなし(食器棚に仕舞わない)でやってきた。

結婚してからはさすがにそうはいかないので最低限のしまつはするのだけど、一つだけ、どうしてもできないことがある。

洗濯した靴下を、履き口を「くるっ」と返して一組ずつたたむこと。

靴下をあんなに組み固める必要があるのだろうか。どうせ近日中にほどいて履く運命なのに。重ねて二つ折りにさえしておけばよくないか?それさえすれば、タンスの引き出しでごっちゃになることもない。

さらに悪いことに、旦那は、履き口を「くるっ」と返したうえに、つま先部分をそこに折り込んでさらにコンパクトにまとめる習慣がある。

なんでそんな団子みたいにガッチリまとめる必要があるのか。ない。無為に仕事をふやしているようにしか思えない。非効率すぎる。

誰に何を言われても、この作業は断固拒否だ。私のポリシーに反する。

今日も靴下を「くるっ」をせず、旦那にあきれられた。でも、めんどうなもんはめんどう!むり!

「ごちそうさん」活男の戦死に思ったこと

退職してから朝ドラを見続けている。正しくは、実家に出勤し、お昼休み、満腹の腹をさすりながら父とテレビをながめている。


今週の「ごちそうさん」はめ以子の次男、活男が戦死するというつらいお話だった。

活男は海軍に志願して亡くなったのだけど、なんだかとても身につまされた。


私の父の叔父にあたる人が二人、海軍にとられ、二十歳そこそこで亡くなっている(父の実家はとある島)。私はその話を祖父や父から何度も聞かされて育った。

祖母からも、戦時中の話をよく聞いていた。本当に、山のてっぺんでB29に向けて竹やりを突き上げていたというのだから驚く。

学校でも熱心な平和教育を受けてきたし、結果、私は同世代の平均よりは少し戦争とか平和とかに敏感な人間に仕上がったようだ。


結婚前、夫(実家は山間部)に前述の話をし、あなたの身内はどうだった?とたずねたことがある。
そしたら、聞いたことがないし、たぶん身内に戦争に行った人はいないんじゃないかなぁ、という答えが返ってきた。

私は、そんなことがあるなんて、と死ぬほど驚いた。世の中の不公平さ、不条理さに驚愕し、人の運命のはかなさを思った。

父にその話をしてみたら、「島の人は海軍にとられやすいし、海軍は船が沈められたら一発だから」

戦争で生きるも死ぬも、結局は運なんだなぁ、と余計やりきれなくなった。

そして、祖父と父が戦争を美化しがちな理由がなんとなく理解できたような気がした。祖父と父がお国のために死ぬ気持ちは正義!みたいに言うのがすごく嫌だった。でも、身内が運悪く戦死してしまったら、それが本当に運でしか片付けられないのなら、戦争を肯定しないと気持ちを整理できないのかもしれない。


だからと言って、やっぱり私は戦争反対なのは変わりないけれど。


昨晩、父が「自分は確かに戦争を賛美する立場だ」と明言して、「ただ、こんな考えをお前たちに植え付けてはいけないと思って育ててきた」と続けた。

単純人間の父がそんな深い思慮を持って子育てをしていたことに私はたまげたけど、こんな偏った思想にふれながらも父と違う考えを持てたことは偶然の産物ではなかったのだと思った。

人間の理性というか、命に対する根源的な気持ちというか、そういうものの真骨頂を見たような気がして、少し心が晴れた。


あと父が芯から危ない人じゃないんだと確認できて安心した。

今日も世界が平和でありますように。